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東京地方裁判所 昭和61年(ワ)144号 判決

主文

1  被告は、原告竹垣富子に対し、金七七〇万円を、同竹垣忠行に対し、金二三〇万円を各支払え。

2  原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

3  訴訟費用はこれを三分し、その一を被告の負担に、その余を原告らの負担とする。

4  この判決は、第一項に限り仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告竹垣富子に対し、金二二〇〇万円及びこれに対する昭和六一年一月二一日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  被告は、原告竹垣忠行に対し、金八〇〇万円及びこれに対する昭和六一年一月二一日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は被告の負担とする。

4  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

原告竹垣富子(以下「富子」という)は、夫である原告竹垣忠行(以下「忠行」という)との間の第三子出産(以下「本件出産」という)のため、公立阿伎留病院(以下「被告病院」という)に通院並びに入院していた者である。

被告は、被告病院を設置・維持・管理する者であり、訴外岩井隆医師(以下「岩井医師」という)及び明田川修生医師(以下「明田川医師」という)は、被告病院に勤務していた医師である。

2  診察の経緯と分娩介助等契約の締結

(一) 富子は、昭和四九年三月一七日、訴外秋山病院において第一子を出産したが、分娩室に入室後五時間もかかる難産であった。また、同五二年六月二五日にも、秋山病院において第二子を出産したが、このときは胎児が顔面位であったため、帝王切開手術により分娩を行なった。

(二) 富子は、昭和五八年五月一六日、被告病院で岩井医師の診察を受け、妊娠しており、同年一二月三〇日頃出産予定との診断を受けた。以後、富子は、明田川医師から、翌年一月までに十回程の診察を受けた。

(三) そこで、富子は、岩井、明田川両医師に対し、前回の出産時に帝王切開手術による分娩を行なった旨告げ、また、昭和五八年一二月三日の診察時には、分娩が進行しないときには会陰部切開をして欲しいこと、前々回の出産が重かったことから、レントゲンを撮って欲しい旨頼んだ。

(四) その後昭和五八年一二月二七日及び一月一四日の二回にわたって、富子は、一時入院のうえ陣痛促進剤の投与を受けたが、いずれも出産に至らず、その日の夕方に退院していたところ、一月二〇日になって陣痛が始まった。富子は、同日午後一時過ぎに忠行に付添われて被告病院に入院し、遅くとも右時点までには、原告らと被告との間において、富子の本件出産についての診療契約が締結された。

3  本件分娩の経緯

(一) 富子は、被告病院への入院の当初、岩井医師の内診を受け、その場にいた江川助産婦から、陣痛は七分ないし八分間隔で続き、子宮口は三指開大の状態である旨告げられた。

同日午後三時頃、富子は、陣痛間隔が一〇分位に遠くなったが、江川助産婦に促されて陣痛室に入り、午後四時一〇分頃、診察室へ行って、岩井医師の内診を受けた。その際、江川助産婦は、同医師に対し陣痛促進剤の使用を進言したが、同医師は、富子は前回帝王切開を行なっているので急激なことはできない旨述べて、これに応じなかった。

同日午後四時二〇分頃、富子は陣痛室に戻ったが、内診を受けた直後であるにもかかわらず、江川助産婦は富子の膣内に手を入れ、破水させてしまった。破水直後から陣痛は四分ないし五分間隔で強くなり、再び富子が岩井医師の内診を受けた際、同医師は、経過順調と診断し、午後五時頃帰宅した。

午後五時四〇分頃、富子は分娩室に移され、分娩監視装置を着けられた。

(二) 午後七時四〇分頃に子宮口が全開大となり、ようやく午後八時頃になって胎児の頭が見えてきたが、そのままで一向に分娩は進まなかった。

同日午後九時頃、富子は、たまりかねて助産婦らに対し、吸引、会陰部切開等により分娩を進行させるよう頼んだ。

午後九時二〇分頃、岩井医師の電話による指示に基づき、陣痛促進剤オキシトシンの点滴投与が開始された。午後九時四〇分頃、富子は、陣痛とは異なる連続的な激痛に襲われた。その後、岩井医師が被告病院に到着するまでの間、富子は、助産婦らに対し、激痛を訴え続け「先生を早く。早くしてください。苦しい苦しい。」と何度も頼んだが、助産婦らからは、何の説明もなく放置されたままであった。

午後九時四五分頃から酸素マスクの使用が開始された。

(三) 同日午後一一時頃になって、帰宅していた岩井医師が病院に到着し、直ちに吸引を二、三回行なったが、不成功に終わった。そこで、同医師は陣痛促進剤の点滴投与を中止し、帝王切開手術をすることを決めた。

午後一一時三一分頃、富子は、手術室に輸送されたが、その際、呼吸困難となり嘔吐した。

午後一一時三五分頃、岩井医師、小林外科医の執刀で、腹式帝王切開手術が行なわれたが、翌一月二一日午前〇時八分頃、胎児は死亡して取り出された。すぐ、胎児に対し人工呼吸マッサージ等の蘇生術が試みられたが、効果はなかった。子宮は、前回の帝王切開による瘢痕部のとおりに破裂していた。

4  被告の債務不履行

(一) 富子のような帝王切開の既往のある者が経膣分娩をする場合、前回切開にかかる瘢痕部分の破裂による子宮破裂が起りやすく、殊に分娩前に子宮破裂が生じた場合には、胎児は殆ど死亡してしまい、母体の生命にも危険が及ぶ。したがって、分娩を担当する医師は、子宮破裂の可能性もあることを予見し、経膣分娩を選択した場合でも、帝王切開の準備をしたうえで、陣痛や胎児の心音を通常の妊婦よりも頻繁に観察するなどして、分娩状況の異常による子宮破裂の具体的危険の発生を見過ごさないように監視する義務がある。ところが、岩井医師は、富子の破水後の午後五時頃に帰宅し、午後一一時過ぎに同医師が被告病院に戻るまで被告病院内を産婦人科医不在の状況に置いてしまい、右のような分娩の異常の監視を怠った。

(二) 帝王切開の既往のある妊婦に対する陣痛促進剤オキシトシンの投与は過強陣痛による子宮破裂や胎児仮死を招く危険性がある。したがって、分娩を担当する医師は、できるだけオキシトシンの使用を避けるか、オキシトシンを投与するときでも、右のような危険を避けるため、分娩監視装置による陣痛や胎児心拍の厳重な観察をしながら、過強陣痛を招かないように注意して投与を行ない、過強陣痛が疑われるときには直ちに投与を中止する義務がある。ところが、岩井医師は、投与前の診察もしないまま、助産婦と看護婦のみによる不十分な監視しかできない状況の下でオキシトシン投与を指示して実施させた。そのため、子宮破裂と胎児仮死の危険性を一層高めるに至らせた。

(三) 通常の経産婦ならば子宮口全開大後一時間以内に分娩が終了するところ、本件では、富子の子宮口が全開大になってから一時間以上経過しても分娩は終了せず、午後九時四〇分頃には、富子が過強陣痛と思われる激痛を訴えるようになるなど、子宮破裂の切迫症状が現われた。また、その頃には陣痛に伴う胎児心拍数低下の回復が遅れていることから、分娩遷延による胎児仮死が疑われる状況にもなっていた。したがって、分娩を担当する医師としては、子宮破裂と胎児死亡を避けるため、右時点でオキシトシンの投与を中止し、直ちに帝王切開手術による分娩に切り替える義務があった。ところが、岩井医師は、午後一一時三〇分過ぎまで、オキシトシンの投与を中止せず、帝王切開手術にも着手しなかった。

(四) 以上の過失により、昭和五九年一月二一日午前〇時過ぎに帝王切開手術が行なわれたときには、既に富子の子宮は破裂しており、胎児も死亡して取り出される結果が生じた。

5  損害

(一) 富子に対する慰謝料 金二〇〇〇万円

本件事故により、富子は娩出直前まで健康に育っていた胎児を失った。また、富子自身、以後安全に出産することが不可能になった。

しかも、本件事故は、富子に帝王切開の既往歴があり、本件出産において子宮破裂の高度な危険性があったのに、分娩開始後病院内に産婦人科医がいなくなったため適切な処置が取れなかったという極めて重大な過失により生じたものである。

以上の事情に加えて、医師不在のまま子宮破裂に至らしめられた際の富子の苦痛と恐怖、事故後の被告病院側の不誠実な対応による富子の精神的苦痛、出生直後の新生児が死亡した場合に認められる損害賠償額との均衡等を考慮すると、被告の行為により富子の被った精神的損害を慰謝するための額としては金二〇〇〇万円が相当である。

(二) 忠行に対する慰謝料 金七〇〇万円

忠行も、被告の重過失により娩出直前まで健康に育っていた胎児を失った。また、忠行は、本件事故により精神的ショックを受けた富子を励ましつつ家庭を支えていくなかで、自らも大きな精神的苦痛を受けた。右忠行の精神的損害を慰謝するための額としては金七〇〇万円が相当である。

(三) 弁護士費用 総額金三〇〇万円

原告らは、本訴を提起するに当たり、原告ら訴訟代理人との間で、富子について金二〇〇万円、忠行について金一〇〇万円を弁護士報酬として支払う旨の契約をした。右は、被告の債務不履行と相当因果関係がある損害である。

6  よって、原告らは被告の診療契約上の債務不履行による損害賠償請求権に基づき、被告に対し、原告富子につき金二二〇〇万円及び原告忠行につき金八〇〇万円並びに右各金員に対する本訴状送達の日の翌日である昭和六一年一月二一日より各支払済みに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実は認める。

2  請求原因2について

(一) 請求原因2(一)の事実は不知。

(二) 同(二)の事実は認める。

(三) 同(三)の事実中、富子が前回の出産が帝王切開によるものだった旨告げたことは認め、その余は否認する。

(四) 同(四)の事実は認める。

(五) 昭和五九年一月二〇日の入院に至るまでの診療の経緯は次の通りである。

(1) 富子は、昭和五八年五月一六日、岩井医師の診察を受け、同年一二月三〇日からの一二日間に出産予定である旨の診断を受けた。その後、一二月二四日迄一〇回にわたって通院し、同月二七日には分娩誘発目的で入院し、陣痛促進剤の点滴を行なったが、午後になっても陣痛発来がないため退院した。

(2) 富子は、翌年一月五日、同月一〇日にも来院し、一四日には希望により入院した。同日午前一一時三〇分に岩井医師が診察した際には、陣痛はなく、児頭は骨盤入口上に半ば固定されていた。その後陣痛促進剤を投与したが効果を認めず、午後四時三〇分に再び岩井医師が診察した際には、児頭は骨盤入口上で移動性であった。富子は、午後五時に退院した。

(3) その後、富子は、一月一八日に外来で受診し、一月二〇日の午後一時一五分に入院した。午後〇時頃より一五分おきの陣痛を発来したとの訴えがあったが、入院当時の陣痛間歇は七分から五分、陣痛発作は四〇秒、子宮口二指半開大、児頭は下降していた。

3  請求原因3について

(一) 請求原因3(一)の事実中、富子が入院当初に内診を受けたこと、午後三時頃江川助産婦に促されて陣痛室に入ったこと、診察室に入って岩井医師の診察を受けたこと(但しこれが午後四時一〇分頃であるとの点は否認する)、その後陣痛室に戻ったこと、午後五時四〇分頃分娩室に残され、分娩監視装置を着けられたこと、岩井医師が午後五時頃帰宅したことは認め、その余は否認する。

(二) 同(二)の事実中、子宮口全開大の時期、岩井医師の電話での指示に基づきオキシトシンが投与されたこと、岩井医師が到着するまでの間、富子が助産婦らに対し医師を呼んで欲しい旨何度も頼んだこと、午後九時四五分頃から酸素マスクが使用されたことは認め、午後九時四〇分頃から富子が陣痛とは異なる激痛に襲われたことは不知。その余は否認する。

(三) 同(三)の事実中、富子が手術室輸送の際呼吸困難となって嘔吐したことは否認し、その余は認める。

(四) 本件分娩の経緯は次のとおりである。

(1) 午後三時に岩井医師が診察した際は、陣痛間歇は四分から七分と不規則な状態であり、児頭は骨盤入口上に固定し、子宮膣部は消失し、胎胞緊満、膣伸展は良好であった。午後四時三〇分に岩井医師が診察した際は、児頭は固定し、子宮膣部は消失し、既に破水していた。子宮口は三指半から四指開大、子宮口はやや固く、児心音は正常であった。午後五時五〇分の時点で陣痛間歇は三分から四分、発作は四〇秒であった。

(2) 午後六時一〇分から分娩監視装置による監視が開始された。午後七時四〇分時点で、陣痛間歇は四分から六分、発作は四〇秒、子宮口は全開大、児頭はやや高かった。午後九時一五分頃、影山助産婦から岩井医師の自宅に電話があり、岩井医師は影山助産婦に対して陣痛促進剤をゆっくり投与するよう指示し、これに従って点滴が開始された。午後九時四五分頃、影山助産婦が岩井医師に対し、産瘤は増大してきており、もうじき排臨の状態で、児心音は正常、陣痛ありと電話で報告したので、岩井医師は、児頭下降していれば吸引するから準備しておくよう指示し、直ちに病院に向かった。午後九時五五分に酸素吸入が開始された。

(3) 午後一一時、岩井医師は病院に到着し、直ちに診察をした。陣痛は強く、間歇時も子宮体はやや収縮性であった。内診したところ、産瘤は排臨に近く、児頭は骨盤入口に嵌入固定していた。吸引を試みるも、産瘤が大きいためすぐにはずれ、児頭は動かず吸引は不能であった。児心音変わらず、直ちに帝王切開することにして、準備を開始した。陣痛促進剤の投与を中止して、術前準備を行ない、午後一一時三〇分手術室に入った。翌一月二一日午前○時三分加刀し、午前〇時八分女児を死亡にて娩出した。

4  請求原因4について

(一) 請求原因4(一)の事実中、帝王切開の既往がある妊婦が再度出産する場合、前回切開にかかる瘢痕部分の破裂による子宮破裂の危険が高いとの主張は争う。帝王切開の既往のある者について経膣分娩を選択した場合の分娩状況の十分な監視が必要なことは一般論としては認め、また、岩井医師の帰宅後、午後一一時まで被告病院内に産婦人科医がいなかったことは認めるが、被告が分娩監視義務を怠ったとの点は争う。

(二) 同(二)の事実中、帝王切開の既往のある妊婦に対してはオキシトシンの投与をできるだけ避けるべきであるとの点は争う。オキシトシンを投与する場合の注意義務は一般論としては認める。本件でのオキシトシン投与に当たって助産婦と看護婦のみが立ち会っていたことは認めるが、これが監視として不十分であることは争う。オキシトシンの投与によって、富子の子宮破裂と胎児仮死の危険性を一層高めたことは否認する。

(三) 同(三)の事実中、子宮口全開大から一時間以上経過しても分娩が終了しなかったこと、午後一一時三〇分過ぎまで帝王切開手術が行なわれず、オキシトシンの投与も中止されなかったことは認め、その余は否認。

5  請求原因5について

(一) 請求原因5(一)の事実中、富子が胎児を失ったことは認め、以後安全に出産できなくなったことは否認する。子宮破裂の高度な危険性があったことは否認し、被告に重過失があったとの点は争う。子宮破裂に至った際の富子の苦痛と恐怖については不知。被告病院の対応が不誠実であったとの点は否認。慰謝料額については争う。

(二) 同(二)の事実中、胎児を失ったことは認め、それが被告の重大な過失によるものであることは争う。富子を励まし家庭を支えていったことは不知。慰謝料額については争う。

(三) 同(三)の事実中、原告らと原告ら訴訟代理人間の契約については不知。相当因果関係があることについては争う。

三  抗弁

当時、被告病院は、医師の人材確保等の要請上、やむを得ず、夜間当直医が常時在院する態勢にはなっていなかった。そして、本件出産日には、たまたま自宅待機番である明田川医師に連絡がつかなかったため、自宅に居るところに助産婦らから連絡を受けた岩井医師が病院に向かうこととなった。ところが、前日に降った大雪のため移動に時間がかかり、同医師の被告病院への到着が一一時になってしまったものである。したがって、本件事故の発生は不可抗力によるものである。

四  抗弁に対する認否

争う

第三  証拠〈省略〉

理由

一  争いのない事実

請求原因1、同2(二)、(四)の各事実は当事者間に争いがない。同2(三)の事実中、明田川医師に対し富子が前回の出産が帝王切開手術であった旨告げたことは当事者間に争いがない。

二  事実経過

右争いのない事実と、〈証拠〉によれば、以下の事実を認めることができる。

1  昭和五九年一月二〇日の入院まで

(一)  富子は、昭和四九年三月一七日、訴外秋山医院において第一子を出産した。胎児の生下時体重は二四五〇グラムと小さかったにもかかわらず、分娩室に入室後五時間もかかる難産となり、秋山医師は帝王切開手術にすぐ切り替えられるような態勢を取りながら経膣分娩を行なった。

また、同五二年六月二五日、秋山医院において体重三〇二〇グラムの第二子を出産したが、このときは顔面位であったため、秋山医師の勧めにより下部横切開術による帝王切開手術により分娩を行なった。

(二)  富子は、昭和五八年五月一六日、被告病院で岩井医師の診察を受け、妊娠しており、出産予定日は同年一二月三〇日から翌年一月一三日頃までとの診断を受けた。以後、富子は、明田川医師から、翌年一月までに十数回の診察を受け、その間の昭和五八年一二月二七日及び翌年一月一四日には、二回にわたって一時入院のうえ陣痛促進剤の投与を受けるなどの診療を受けた。

(三)  富子は、岩井医師による初回の診察の際に、前記(一)の事情について告げ、出産予定日が迫った昭和五八年一二月頃には、明田川医師に対して、いつもお産が重いので心配であること、安全のためにレントゲン写真を撮って欲しいこと、分娩があまり進まなかったときには会陰部切開をして欲しいことなどを述べた。しかし、同医師は、レントゲンを撮らず、また、秋山医師に前回の帝王切開の適応や手術時の状態、手術後の経過等について問い合わせることもしなかった。

(四)  昭和五九年一月二〇日午後〇時頃になって、富子に陣痛が始まった。富子は、同日午後一時過ぎに被告病院に入院した。右時点での陣痛間歇は七分から五分、陣痛発作は四〇秒であり、子宮口二指半開大で、児頭は下降している状態であった。

2  昭和五九年一月二〇日の状況

(一)  被告病院の本件出産日の勤務体制

被告病院産婦人科の当時の勤務体制は、昼間については、火曜日と金曜日は一人勤務になるが、他の曜日には二名が外来と病室とを別々に分担して診療するというものであり、夜間については、月曜日には明田川医師が、水曜日には岩井医師が当直して、それ以外の曜日は交代で自宅待機当番をするが、何かあったらすぐに病院に駆けつけられるようにしておくというものであった。

もっとも、岩井医師の自宅は、八王子市内にあって、自動車で被告病院まで三〇分から四〇分かかり、また、明田川医師の自宅は東京都新宿区四谷にあって、被告病院に自動車で駆け付けても少なくとも四五分以上はかかった。そこで、夜間、あらかじめ何らかの危険が予想される患者のいる場合には、医師が病院内で待機するようになっていた。

なお、明田川医師は、当時、自宅待機当番の日には茨城県内の病院にアルバイトに行っており、夜間、病院から連絡がつかないことがしばしばあった。そのような場合、岩井医師に対して病院より患者の症状等についての連絡がなされていた。

本件出産の日は、金曜日であって、岩井医師が午前中の外来と午後の入院患者の診察を行ない、明田川医師は研究日扱いで昼間は在院せず、夜間の診療については、午後五時一五分から明田川医師が夜間の診療のため自宅待機当番をすることになっていた。

(二)  分娩の経過

(1) 富子は、被告病院に入院後の午後三時頃、岩井医師の診察を受けた。その際の陣痛間歇は四分から七分であり、児頭は骨盤入口上に固定していた。

岩井医師は、午後四時三〇分に、再度富子を診察したが、右時点で児頭は固定し、子宮口は三指半から四指開大となっており、同医師は、順調にいけば三時間ないし四時間程度で、すなわち同日午後七時三〇分から八時三〇分頃までには子宮口全開大になるものと診断した。富子は、右二回の診察の間に破水した(なお、これが江川助産婦による内診によって引き起こされたことを認めるに足りる証拠はない)。

(2) 岩井医師は、富子に対する夜間の診療については明田川医師に連絡が付くものと考え、同医師の所在を確認することもなく、午後五時頃には帰宅した。そのため、同日夜に被告病院の産科病棟内で富子の分娩状況を観察し得たのは、影山助産婦と、菊川看護婦だけとなった。影山助産婦は、日勤の江川助産婦から、同日の出産予定者は富子だけであること、並びに同人が前回帝王切開により分娩していることを告げられて、富子に対する介助の引き継ぎを受けた。影山助産婦は、その後、分娩監視装置を富子に装着させ、同日午後六時一〇分頃からこれによって陣痛と胎児の心拍数について記録を取り始めた。

(3) 午後五時五〇分の時点で、陣痛間歇は三分から四分、発作は四〇秒であった。午後七時四〇分に、子宮口は全開大となり、陣痛間歇は四分から六分、発作は四〇秒で、児頭はやや高かった。

この頃、富子は、吸引分娩をするなどして早く分娩させて欲しい旨影山助産婦に頼んだ。影山助産婦は、午後八時を少し過ぎた頃、明田川医師の自宅に電話連絡をしたが、同医師は自宅に戻っていなかった。

(4) その後分娩は進行せず、午後九時一五分頃になっても怒嘖は入らなかった。富子は、吸引や会陰部切開により早く分娩をして欲しい旨影山助産婦に対し重ねて要請し、医師への連絡を要求した。影山助産婦は、午後九時一五分頃、岩井医師に電話連絡し、自宅待機当番の明田川医師に連絡が取れないこと、分娩の進行が認められないことを報告した。影山助産婦は、午後九時一五分過ぎに、岩井医師の指示により、陣痛促進剤オキシトシン(五パーセントブドウ糖液五〇〇ミリリットル+アトニン〇五単位)の点滴投与を開始した。

(5) 午後九時を過ぎる頃から、胎児心拍数が時に毎分一〇〇拍以下に下がるようになり、午後九時四〇分を過ぎる頃からは右傾向がさらに顕著になった。また、午後九時三〇分頃から陣痛時の胎児心拍数減少が陣痛終了後一分以上回復しない状況が現われ始め、九時四五分頃からは右状況が顕著になっていった。

午後九時四五分時点では、児頭は下降せず、産瘤は排臨状態で、怒嘖時は近かった。

なお、富子は、午後九時四〇分頃から、それまでとは違う強い痛みに襲われるようになったが、午後九時一五分以降の陣痛の正確な状況は明らかでない(鑑定人我妻堯の鑑定結果によれば、右時刻以降の陣痛の状況について分娩監視装置が正確な記録を残していないこと、その原因は同装置が腹壁へ的確に装着されていなかったため富子の動きによって装着不十分になったことにあることが推認される)。

(6) 富子は、午後九時四〇分頃、影山助産婦に対し、苦しいから医師を早く呼んで欲しい旨訴えた。影山助産婦は、午後九時四五分に、岩井医師に電話連絡して、陣痛が大分強くなり、児頭も下がってきたが、怒嘖が入らないため、分娩がなかなか進行していないことを報告した。なお、影山助産婦は、右時点で胎児心拍数がかなり乱れてきていることを認識していたが、そのことについては特に岩井医師に報告しなかった。

影山助産婦は、午後九時四五分過ぎ、岩井医師の電話による指示により、吸引分娩の準備をした。

(7) 午後九時五五分になって、胎児心音の乱れに対処するため、富子に対する酸素吸入が開始された。

(8) 午後一一時になって、岩井医師が降雪により遅れて被告病院に到着し、富子の内診をしたうえ、三回にわたり吸引分娩を試みたが、効果がなかった。そこで、午後一一時一〇分過ぎに、岩井医師は、帝王切開手術をする旨決定し、オキシトシンの投与を中止して、五パーセントブドウ糖液の点滴に切り替えた。そして、午後一一時三〇分、富子を手術室に輸送し、翌日午前〇時頃、執刀した。富子の腹腔内では、子宮が、前回の帝王切開創瘢痕部分で横方向に裂けており、右瘢痕部の中央から子宮の下方へも裂傷が生じ、全体としては下部がT字型に破裂していた。胎児は、破裂した子宮から腹腔内に脱出しており、胎盤も既に子宮から剥れていた。午前〇時八分、胎児が取り出されたが、右時点で胎児は既に死亡していた。胎児の体重は三〇〇〇グラムであった。

三  被告の債務不履行について

1  〈証拠〉によれば、帝王切開既往がある妊婦の分娩について、本件分娩当時の医療水準は、以下のようなものであったことが認められる。

(一)  帝王切開の既往と子宮破裂の危険性

帝王切開の既往を有する妊婦の経膣分娩時には、帝王切開の瘢痕部が破裂しやすいため、右既往のない妊婦の場合に比べて子宮破裂が起こりやすい。

子宮破裂は、それが胎児の娩出と同時かあるいはその直後に起こった場合には、母体に対する影響があるのみで胎児は無事生まれるが、娩出前に起こった場合には、胎児は通常死亡し、稀に救命できても脳性麻痺を発症することが多く、また、破裂により母体内にも大量の出血を来し、特に娩出前に破裂した場合には胎児とともに母体も死亡することが少なくない。したがって、胎児や母体の生命に対する高い危険性がある。

(二)  分娩方針の決定

子宮破裂は、何等の前駆症状を伴わないで発症し、予防が非常に困難であるから、右危険を回避するためには、反復して帝王切開をすることが有効である。しかしながら、前回帝王切開であっても、経膣分娩することは不可能ではない。そこで、無用の帝王切開の反復を避けるため、前回の帝王切開について十分な情報を得たうえで、前回の手術が骨盤や産道の異常により帝王切開適応となった場合や、前回の帝王切開が古典的切開術による場合などには、再度帝王切開手術を選択すべきであるが、それ以外の場合、特に前回の帝王切開適応が胎児仮死のためであって、今回の手術に帝王切開の適応が認められない場合には、経膣分娩の可能性を検討すべきであるというのが我が国の産科医の一般的方針である。

(三)  経膣分娩を選択した場合の措置

(1) 先に述べた子宮破裂の危険性に鑑み、経膣分娩を選択した場合であっても、分娩の状況について十分に監視し、状況如何によっては直ちに帝王切開を行なえるような態勢を整えておく必要がある。具体的には次のような分娩管理を行なうべきである。

ア 分娩監視前にあらかじめ帝王切開手術に必要な術前検査を実施しておくことが望ましい。また、手術に備えてテフロン針などにより血管を確保しておくべきであり、輸血の準備もしておくことが望ましい。子宮破裂が起こってから三〇分ないし六〇分で開腹手術をできることが望ましい。

イ 分娩経過中は、陣痛、胎児心拍数、分娩進行状態などを通常の分娩の場合よりは頻繁に観察する。分娩進行が遅滞した場合や子宮破裂の兆候と思われる症状が出現した場合には、三〇分ないし六〇分以内に帝王切開手術を実施する。

ウ 原則として自然分娩を期待し、陣痛誘発や促進はできるだけ行なうべきでないが、もし子宮収縮剤などを投与するときは分娩監視装置を使用し、過強陣痛を避ける。子宮破裂の兆候が出現したら、陣痛誘発を中止し、陣痛緩和剤を投与して、帝王切開手術を行なう。

(2) なお、本件出産のような場合には、子宮破裂が何時起こるか確実には予測できないから、破裂が起こりそうな段階で速やかに帝王切開を行なう必要がある。また、実際に破裂した場合には、妊婦の生命を救うため、直ちに開腹手術を行なう必要がある。したがって、医師は、病院内ないしこれと大差ない時間で分娩室に来室できる場所にいて、助産婦と連絡を取りながら先に述べたような監視を行なう必要がある。

2  被告の診療義務違反

先に認定した事実及び前記1記載の各証拠によれば、被告には以下の診療義務違反が認められる。

(一)  富子のような帝王切開の既往のある者が経膣分娩をする場合、前回帝王切開にかかる瘢痕部分の破裂による子宮破裂が起こりやすく、殊に分娩前に子宮破裂が生じた場合には、胎児は殆ど死亡してしまい、母体の生命にも危険が及ぶ。したがって、岩井医師は、子宮破裂の可能性もあることを予見し、本件のように経膣分娩を選択した場合には、帝王切開の準備をしたうえで、陣痛や胎児心拍数、分娩進行状態を通常の妊婦よりも頻繁に観察するなどして分娩状況の異常による子宮破裂の具体的危険を見過ごさないように監視する義務があった。ところが、先に認定したように、岩井医師は、富子の破水後の午後五時頃に帰宅し、自宅待機当番の明田川医師も登院することなく、午後一一時過ぎに岩井医師が被告病院に戻るまで被告病院内を産婦人科医不在の状況に置いてしまい、右のような分娩状況の異常の監視を怠った義務違反がある。

(二)  帝王切開の既往のある妊婦に対する陣痛促進剤オキシトシンの投与は、過強陣痛による子宮破裂や胎児仮死を招く危険性がある。したがって、分娩を担当する医師は、オキシトシンの使用を避けるか、オキシトシンを投与する場合には、右のような危険を避けるため、分娩監視装置による陣痛や胎児心拍等を厳重に観察しながら過強陣痛を招かないように注意して投与を行い、過強陣痛が疑われるときには直ちに投与を中止する義務がある。ところが、岩井医師は、投与前の診察もせず、助産婦と看護婦のみによる不十分な監視しかできない状況の下で、オキシトシン投与を指示して実施させた。

このため、富子の子宮破裂の危険性を一層高めるに至ったことが一応推測される。しかしながら、右オキシトシンの投与によって過強陣痛を引き起こし、そのために本件での子宮破裂を招くに至ったか否かについては、これを確認するだけの証拠はない。

したがって、オキシトシンの投与については、注意義務違反があることは否定できないが、右注意義務違反と本件子宮破裂との間に因果関係があると断ずることはできない。

(三)  通常の経産婦の場合、子宮口全開大から一時間以内には分娩が終了するところ、本件においては、子宮口全開大となった午後七時四〇分から一時間を経過しても分娩は終了しなかった。また、午後九時一五分からは、過強陣痛を引き起こすおそれのある陣痛促進剤オキシトシンが医師不在のまま投与されていた。さらに、子宮口全開大から二時間を経過した午後九時四〇分頃には、富子がそれまでの陣痛とは違った強い痛みを訴えるようになった。

また、分娩時の胎児心拍数の正常値は、毎分一二〇拍ないし一六〇拍であるところ、午後九時を過ぎる頃から、心拍数が時には毎分一〇〇拍以下に下がるようになり、午後九時四〇分を過ぎる頃からは、右傾向がさらに顕著になった。陣痛時の胎児心拍数減少が陣痛終了後一分以上回復しないときには、胎児の酸素欠乏の危険が高度に認められるところ、午後九時三〇分頃から一分以上回復しない状況が現われ始め、九時四五分頃からは右状況がさらに顕著になっていった。

これらのことから、午後九時四五分頃には、過強陣痛あるいは子宮破裂の具体的危険が非常に高まった状況にあることが容易に確認でき、それらの兆候も出現していた可能性も高い。また、その頃から酸素欠乏による胎児仮死が発症した可能性も高い。

したがって、それまでの状況、特に午後九時から九時四五分頃までの状況を医師が監視し、前記各事実を認識しておれば、子宮破裂や胎児仮死の具体的危険性を予見でき、分娩を担当する岩井医師が、右危険性を予見をすれば、直ちに帝王切開による分娩に切り替えることも十分に期待できたものというべきである。したがって、分娩を担当する医師としては、右の時点で富子の右の状況とその具体的危険性を認識する義務があり、右認識したところに従って直ちに帝王切開に切り替えて、子宮破裂や胎児仮死の結果を回避する義務があった。ところが、岩井、明田川両医師が、その時点において在院しなかったために右のような危険な兆候を認識する機会を失い、ひいては帝王切開に切り替える機会を逸したものであり、同医師らには右の点で義務違反がある。

3  被告の責任

以上、本件においては、医師が被告病院内にいなかったため、分娩状況の異常の監視が十分に行なわれず、ひいては富子の子宮破裂や胎児仮死の具体的危険の発生を認識できず、午後九時四五分頃帝王切開手術へ切り替えるべき機会を逸した過失がある。なお、右事実に照らすと、被告の不可抗力の抗弁は、そもそも医師が不在であったことによって生じた過失を無視するものであり、前提において失当であることは明らかである。

そして、右過失により富子の子宮破裂と胎児死亡が発生したものであるから、前記医師らの使用者である被告が診療義務違反による責任を負うことは明らかである。

四  損害について

1  富子の慰謝料額

(一)  原告は、本件においては胎児が娩出直前に死亡したものであることから、出産直後に新生児が死亡した場合に認められる逸失利益等の賠償を含んだ賠償額との均衡も考慮されるべきであるとする。しかし、胎児に権利能力がない以上、新生児が死亡した場合と同様に、胎児自身の逸失利益を相続人が相続するということは観念できず、新生児死亡の場合と同様に扱うことができないのは明らかであり、右主張は取りえない。

しかしながら、胎児の成育につれてそれへの愛情と期待はおのずから高まるものというべきであるところ、帝王切開等の技術の進歩によって分娩時の危険が低下してきている今日においては、分娩直前の胎児に対して母親が抱くであろう愛情と期待は小さくはなく、本件のように娩出直前に胎児が死亡した場合には、新生児が出生後死亡した場合と比較してもその精神的苦痛は著しく低く見られるべきではない。

(二)  また、先に認定した事実及び前掲各証拠によれば、富子は、第三子の出産が困難なものになるであろうことから、被告病院の診療体制を信頼して出産を依頼したものであるところ、先に認定したような杜撰な分娩介助が行なわれたことにより、結局、子宮破裂に追い込まれ、胎児を失ったのに、子宮破裂に至った原因について明田川医師からは説明がないなど、被告病院側に十分誠実に対応してもらえなかったこともあったことが認められる。

(三)  もっとも、〈証拠〉によると、被告病院が本件訴訟前に和解の申出をしたのに、原告が医師の責任を明らかにすることを重視して、これを拒絶したことが認められる。また、本件訴訟中にも、被告が相当額の和解金の提供を申し出ていたのに、原告が同様の理由で和解に応じなかったことも当裁判所には顕著である。

(四)  右のほか、先に認定した諸般の事情を考慮すると、富子の精神的苦痛に対する慰謝料の額は、金七〇〇万円が相当である。

2  忠行の慰謝料額

忠行は、自ら被告病院の診療に直面したわけではないが、被告病院の杜撰な分娩介助によって出生直前に胎児を失ない、これにより精神的損害を受けたものと認められる。そして、右精神的苦痛に対する慰謝料の額は、金二〇〇万円が相当である。

3  弁護士費用

原告らが、本件訴訟の提起を原告訴訟代理人らに依頼したことは、本件訴訟上明らかであり、本件訴訟の内容、経過及び認容額等の事情に鑑みると、本件不法行為による弁護士費用の損害として相当な額は、富子につき金七〇万円、忠行につき金三〇万円と認めるべきである。

五  結論

以上のとおり、原告らの被告に対する本訴請求は、原告富子につき金七七〇万円、原告忠行につき金二三〇万円及び右金員に対する本訴提起の翌日である昭和六一年一月二一日から各支払済まで年五分の割合による金員の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余は失当であるからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法九二条本文、九三条一項本文を、仮執行の宣言につき同法一九六条一項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 鬼頭季郎 裁判官 菅野博之 裁判官 小林宏司)

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